Arpin

アルパンは1817年、イタリア、スイス、両国の国境にほど近いフランスのサヴォワ(SAVOY)県、Seez-Saint-Bernardにて創業いたしました。200年近くを遡る当時、かの地はサヴォワ家の領土、サヴォワ伯国としてフランスからは独立した自治区として存在していました。標高4810.9mのモンブランなどにより形成されるアルプス山岳地帯です。サヴォワ県にあるイゼール川沿いの渓谷、タロンテーズ・ヴァレーにおける織物文化の起源は17世紀まで遡ります。アルパンは初めてその文化を商業化し、そして今なお継承する唯一のメーカーです。アルパンは現在も当時と変わらぬ場所で、唯一無二の生産背景を駆使し、山に住み、愛する人々のために製品を作り続けています。およそ2世紀もの間、その製造工程はほとんど変わっておらず、今でも現役で稼働する機械のいくつかはフランスの国家遺産として登録されています。創業当時、アルパンの生地はアルペン山脈を旅する遠征隊の防寒用として支給されていました。彼らのアイコンでもあるボンヌバル族は、その優れた耐久性と保湿性から、当時のサルディーニャ王国の国王、後にイタリア統一を成し遂げ、イタリア王国の初代国王となる、ヴィットーリオ・エヌマエーレ2世(Victor Emmanuel Ⅱ)が率いる遠征隊のアルプス山脈登頂時にも使用されました。ヴィットーリオはその類まれなる機能性に魅了され、その後も彼らのプロダクトを愛用しました。またモンブランを行き来するマウンテンガイドを寒さから守るためのブランケットや防寒着として幅広く利用され、フランスの著名な冒険家、ポール=エミール・ヴィクトール(Paul Emile Victor)が、フランス国設探検隊を結成し北拠点に到達した際にも、アルパンの製品は彼らを極寒世界から守り続けていました。ヴィクトールは後に、「私を包み込み、いつも過酷な現状にさらされているアルパンの服の方が、守られている私の肌よりもよっぽど長持ちをする(それぐらいアルパンの服は丈夫だ」と語っている。ボンヌバル織はアルパン社が作り上げたごく初期のウール生地で、1900年代、サヴォワの自治区、ボンヌバルの人々が多く高山ガイドに従事していたことからつけられた名前です。高名なガイドであったPierre Blancはこのボンヌバル織りを非常に気に入り、各地へガイドへ赴くたびにこの生地を売り歩きました。こうしてアルパンの生地はイタリア、スイスの隣接する国々でも好評を博し、その名声を築いていきます。今でも作り続けられるその生地は、フランス国家遺産として登録される縮絨機を用い、昔と変わらぬ方法で仕上げられ、アルパンを代表する素材として愛されています。今日、紡績機や織機の一部は近代化されたものの、その製造工程は今もほとんど変わらずに行われています。地元農家の手により、長い歴史を持つアルペン山脈の放牧地でのびのびと育てられ、その地の草だけを食べて育った羊たちの、厳選されたピュアヴァージンウールのみが、秋の毛刈り後、アルパン社に納められ、気の遠くなるような工程を経て彼らの生地は生まれます。そのすべてのこだわりが、驚くべき耐久性を持った、唯一無二の品質を生み出しています。アルパンが創業した当時の登山、越境は、その過酷な環境もあいまり、時に命を奪う危険と隣り合わせの行為と言えました、必ず同じ場所に帰ってこれるという保証はなく、人々は今よりも慎重に山越えの計画を練っていた事でしょう。それ故に無事に旅を終えた際の喜びは大きく、登山家達は無事帰還した際にまとっていた自分のジャケットのボタンを記念として取り置き、幸運の証として大切にしていました。次に新しいジャケットを手にいれた際には、その幸運を引き継ぐべく、新しいジャケットの一番下のボタンと付け替えました、その為、彼らの登山服の一番下のボタンは常に他の物とは違うものが付いていたと言われています。アルパンのジャケットの最終ボタンは常に違うメタルボタンが取り付けられています。偉大なる先人達から引き継いだ「幸運」があなたの手元に届く事を祈って。1817:生地サプライヤーとして軌道に乗りつつあった事業を元に、Jean-Baptiste Arpinにより正式に法人組織としいて工場の登記が行われる。1821:モンブラン山岳ガイドが正式な法人団体として組織され、そのユニフォームにArpinの生地が採用される。1830:ボンヌバル織の生地をつかったニッカポッカが製品化され、瞬く間に登山家、兵士、探検家の間で人気を博す。1843:Paul Arpinが2代目の代表就任。1858:Victor Emmanuel Ⅱはプチ・サン・ベルナール峠遠征時、テントクロスとしてボンヌバル織りの生地を利用した。その保温性と耐久性にいたく心を打たれたヴィクターは、遠征後直接工場におもむきJean-Baptisteに感謝の意を伝えたと言われている。1890:ボンヌバル織がイタリアの国設ヒマラヤ遠征隊のユニフォームに採用される。1908:Paulの息子であるPierrとEdouardの2人が3代目代表に就任。その年、水力タービンによる発電機を工場に導入Tarentaise地方では最初に電力が供給された画期的な場所となり、余剰電力は近隣の村々にも配給された。1949:フランス国設北極探検隊にアルパンの製品が採用される。1960:Leon Arpinが4代目就任。1990:Gerard Arpinが5代目就任。1992:アルベールヴィルオリンピックのユニフォームとして採用される。1999:所有する14基の機械が歴史的有形物としてフランス国家遺産として登録される。2003:フランスオートクチュール組合のコレクションにボンヌバル織が採用される。2007:フランス農林省により「現存する文化遺産継承企業」として指定を受ける。

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