※8/7(水)・8/8(木)は、休店日です。
※夜は閑散としてるので、当面の間18:30閉店です。(割と19時まではいます。お電話いただければ!)
※OLD TOWNオーダー分の入荷は、10月下旬を予定しております。
ダイアリーズの今日は何の日?
今日は「ハードコアテクノの日」だそうです。(そうなの?)
というわけで連日お送りしてますフジロックより。
巷ではロッキン・サマソニ・ライジングサンと、夏フェス真っ盛りでございます。
ですがやっぱりフジロックは、マニアックな海外アーティストを一気に見れるところが面白いですね。
というわけで、僕のタイムテーブルはこんな感じ。
フジロックは金・土・日の3日間開催。僕が行ったのは土日でした。
土曜日は特に目当てのアーティストが無かったので、スカパラからゆる~くスタート。
やっぱり始まりはグリーンステージから!
現地で友人と会ってハイネケンで乾杯しつつ、ガールズバンドのLast Dinner Partyまでほろ酔い気分で見るライブ。最高。
次に隣のレッドマーキーステージで、今回の最初の目的「Glass Beams」を見る。
ヴィジュアルも音もハイセンス。あ~これこれ、この無国籍な感じもフジロックぽいのよね~!
ちなみにこのステージ「レッドマーキー」のみ、屋根が付いている屋内ステージとなります。
そこから次の折坂悠太まで一気に移動。
緑と音を体いっぱいに吸い込むフジロック。最高。
山道を抜けて~
ところ天国を越えて~
辿り着いたのは、グリーンステージに次いで2番目に大きいホワイトステージでございます!
ちなみに折坂悠太の声が気持ちよすぎて、コールマンの椅子で爆睡。気づいたら最後の曲でした。
これもまたフジロックかな。
こちらは折坂悠太が終わって、次のくるりの出番を待っているところ。
くるりは昨年の朝霧JAMでも見ているのですが、「フジロックで見る」というのはまた格別なんです。
もちろんこの「くるり」も今回の目的の一つ。
最初の曲「奇跡」で涙し、ワールズエンド・スーバーノヴァで、人生の中でも指折りの夕暮れ時を迎えることができました!
そして夜が更けていく・・・・・
じゃ、商品紹介です。
ドウゾ!
【ブランド】De Martini(ディ・マティーニ)
【アイテム】Messenger Bag
【価格】¥29,700‐
【コメント】
これまでDIARIESのラインナップで弱い部分といえば、バッグ類。
折角定着したように見えたウクライナのバッグブランドも、例の戦争で作れなくなったり。
おなじみのPOKITも、こだわった生地や部材はイギリスだけでなくヨーロッパ全体でも年々手に入りにくくなったり。
もうどうにもならないや・・・と思った時、なぜかまた新しい風が吹いてくるものです。
今春取り扱いを再開したBAD BAGSも入荷してまいりますが、まずは今季初登場のこのブランドからご紹介いたしましょう。
1947年、第二次世界大戦中にブルックリンにある海軍工廠で、セイルメーカーとして腕を磨いたフランク・ディ・マティーニは、ディ・マティーニ・グローブ・キャンバス社を立ち上げます。
当初、グローブ・キャンバス社はセイル(帆)の製造と修理を行っていました。しかし、セイル製造業界は時代と共に多くのセイルショップが廃業していきます。
そこで彼は、バッグ・エプロン・カバー・日よけなどの注文に応じるようになりました。
彼のデザインは実用的で耐久性があり、顧客には、ニューヨークの電話会社、エアボーン航空貨物、ニューヨーク地下鉄広告社などがありました。
1965年にフランク・ディ・マティーニは、以前、電話会社のために作ったバッグを、自転車のメッセンジャー業界に紹介しました。
そのバッグはたちまちメッセンジャーの間で評判を呼び、やがてバッグ作りは、これまで行ってきたエプロンやテント製造の仕事に取って代わるようになり、バッグ専業メーカーとしての地位を確立します。
その後自転車の宅配便業界が成長するにつれて、彼のバッグは支持を集め、やがてメッセンジャー会社が関心を持つようになりました。
最初の顧客にはコールマン・ヤンガー・、キャン・クーリエ、マイヤーズ・メッセンジャーなどがいます。
70年代に入ると、メッセンジャービジネスの継続的な成功に伴い、メッセンジャーバッグの人気も高まりました。
1977年には、Mobil Messengerが赤、City Cycleは黄色、Eliteは黒、Wheelwiseはオレンジと、各社が、それぞれの企業に特化したカラーを採用します。
この頃、グローブ・キャンバス社のバッグは、ニューヨークで増え続けるメッセンジャーが、手軽に手に入れることができる唯一のメッセンジャーバッグでした。
そして世界中の都市がニューヨークからヒントを得て、ディ・マティーニのメッセンジャーバッグは、世界へと広まっていきました。
80年代には、ニューヨーカーがメッセンジャーバッグに価値を見出したように、一般の人も使うようになりました。
1986年までには、ディ・マティーニは多種多様なバッグを展開。
それでもほとんどのバッグは、モット・ストリート177番地にある、フランクが「ダウン・イン・ザ・ホール」と呼ぶ地下ショップで個人に直接販売されていました。
しかし1990年代になると、ニューヨークのバイクメッセンジャー業界に大きな変化が訪れます。
デジタル時代の幕開けと共に、ファックス、ポケットベル、Eメール、携帯電話がバイクメッセンジャー業界の衰退を告げました。
1995年、フランク・ディ・マティーニはニュージャージーの自宅に引退し、娘のキャサリンに事業を託しました。
50年近くにわたり便利で信頼性の高い製品を縫製してきたフランクのメッセンジャーバッグは、メッセンジャーの世界で象徴的な存在となりました。
フランクのメッセンジャー・バッグは、彼のオリジナル・デザインからヒントを得た多くの新しいメーカーにインスピレーションを与え、彼のバッグが長い間ストリートを走り続けることを保証しました。
キャサリンが引退した後、縫製はコネチカット州ニューヘイブンに移り、ディ・マティーニ・グローブ・キャンバスは現在もそこで縫製されています。
というブランド。
ブランド説明にも書いてある通り、「世界で初めてメッセンジャーバッグを作ったメーカー」なんですが、ここ茨城では意外と知られてないっぽいです。
なので、改めてもっと多くの方に知られて欲しい、なぜならメッセンジャーバッグのオリジネーターだから。
そんな思いで取り扱いを決めた、De Martini(ディ・マティーニ)。
実は、僕がDIARIESをオープンしてからずっと取り扱いたかったブランドの一つではあったのですが、
これまでは某大手セレクトショップが国内では独占していたようで、取り扱うことができませんでした。
DIARIESのような弱小でも取り扱いができるのは、不景気のおかげっちゃあおかげなんですよね。
今日は日経平均大暴落なんてニュースが飛び交ってますが、DIARIES創業はリーマンショック後の2009年なので、乱世の方が戦いなれてる気がします。
それはさておき、詳しく見ていきましょう。
これがメッセンジャーバッグ。これぞメッセンジャーバッグ。
90年代に一世を風靡したあの光景は、まさにここから始まったのかと思うと、胸が熱くなります。
初めてその名を聞いた時、ビックリしましたよね?
メッセンジャーバッグ?ショルダーバッグじゃなくて???メッセンジャーていう人達がニューヨークにいるの!?
チョーカッケーーーーーー!!!!!!!!!てね。
僕も都内に住んでる時は、バイクの免許取るまでは自転車が主な交通手段でした。
なので都内のメッセンジャー会社・T-Servにも憧れましたが、当時の愛車がキャノンデールV700ということもあり、
ロードは乗る気なかったので諦めたことも。(実際は、T-servで働いている友人に走行距離を聞いてビビった。笑)
そんなみんなのあこがれメッセンジャーだけでなく、そもそもメッセンジャーというものを知らない人達さえをも魅了し、
90年代から2000年代初頭にかけて一大ブームを巻き起こしたメッセンジャーバッグ。
そんなメッセンジャーバッグですが、おそらくほとんどの方が思い浮かぶのが、前述のマンハッタンポーテージだと思います。
しかし、そのマンハッタンポーテージの創業者は、このディ・マティーニ出身だそうなんです。
ビジネスとして成功したマンハッタンポーテージとは対照的に、今でもアメリカ製を貫くディ・マティーニ。
みんな好きでしょ?
これがディ・マティーニ伝統のメッセンジャーバッグ。
ガバっと開きアクセスしやすいメインコンパートメントは、視認性が良い工業用ビニールライニングで保護され、防水性も高くなっています。
極太のショルダーストラップは重さを感じにくくさせます。
さらにレジン加工が施されており、非常に耐久性が高いストラップです。
そのストラップを固定するのは、これまた頑丈なメタルパーツ。
表地は1000デニールのナイロン生地で、軽く非常にタフ。撥水性もあります。
このように、タフでクレイジーなニューヨークのメッセンジャーの使用に耐えられるよう、とことん強度を追求しています。
特にエグいのがこのショルダーストラップ。
創始者のフランクは、建築業者が安全帯ベルトに使うようなガチガチのストラップを探して、バッグに取り付けたんです。
また、とことんメタルパーツで押さえるところにも、絶対に壊れないバッグを作るという強い意志が感じられます。
そしてもう一つ、ナイロンではなく素材違いがございます。
画像ではちょっと分かりにくいのですが、なんとコットン!?!?!?
これぞオリジナル中のオリジナル!
これは僕も今回取り扱うまで知らなかったのですが、元々セイルクロス=帆布を扱う軍需工場で働いていて、
メッセンジャーバッグを作る前は、トートバッグ等色んな形を作っていたんですね。
で、その中の顧客には電話会社もいたとなると、ベルシステムのトートバッグのようなものを作っていたのかもしれません。
あの帆布で作ったメッセンジャーバッグ。一回りしてとても新鮮に感じます!!!!!
そもそもメッセンジャーバッグというものは、企業間で書類をデータではなく書類でやり取りしてた時代のもの。
なので過去の遺物ではあります。
が、この耐久性に富んだショルダーバッグというものは、既にバッグとして完成されており、今の時代でも十分通用するものになっています。
これも一つの「用の美」であるかと。
ビーントートの次くらいでいいので、もっと評価されてもいいんじゃないかな~?ディ・マティーニのメッセンジャーバッグ。
改めて、ご覧ください。
それではまた。お店で会いましょう。